ニンテンドーも人気シリーズ「どうぶつの森」。
今年その新作「あつまれ どうぶるの森」が発売されてから、そのゲームの世界にハマる人が続出している。
このゲームは、魚釣り、昆虫採集、建築、街の発展など多くのタスクをこなしていき、舞台である島で遊んでいくといった内容。
ときには他のユーザーを島へ招いたり、自らが他の島へ遊びにいったりと、ソーシャルゲーム要素も熱い。
ハマってしまうのも仕方ない、なぜなら面白いからである。
面白いことに時間を割くのは無駄ではない。
面白いこと=無駄という定義が通ってしまうのであれば、漫画、アニメ、映画、スポーツ観戦、などはもちろん友人とオシャベリタイムさえも無駄になってしまう。
では時間の無駄だと感じてしまう理由は何かというと、ゲームの中まで働かなくてはいけない「面倒な要素」があるからだ。
この感情はこのゲームだけに覚えたわけではない、レベルを上げたりレア素材を集めたりするゲーム全般に言えることだ。
映画鑑賞や漫画を読むことに「面倒」「苦労」といった感覚はないが、最近のゲームにはある。
レアアイテムを探している時間は、私にとって疲れる時間だ。
疲れる思いをして、島を活性化したり家のクオリティを上げたりするのは達成感があって面白いが、そこまでしてゲーム内の仮想価値に時間を割きたくないのが本音。
またゲームはいずれ飽きてしまい、中古で売るか戸棚の中に眠ることになる。
そうなった時のことを想像すると、一気にプレイする気持ちが失われる。
いつか愛をなくしてしまうと分かっているものに、情熱を注ぐ気にはなれないから、私は最近の面白いゲームをやらない。
もしプレイするのだとしたら、そのシリーズのマニアにならなければならない。
ゲームはもちろん、グッズ集めにも熱を注ぐ、ゲームをクリアして遊びつくしたとしてもコレクションとしてその後も大事に保管し続ける。
それくらいの愛情がもてるコンテンツに出会えてたとき、私は再びゲーマーになるだろう。