世界一不幸な人は東南アジアのカンボジアにいます。
彼の名はサムセン。
貧困家庭で生まれ、家は6畳ほどにも満たない小さな小屋で育った。
もちろんその小さな空間には母親と弟もいるので、かなり狭い。
父親は街へ出稼ぎにいったまま帰って来ない。とうとうサムセンが大人になるまで一度も帰ってこなかった。
家のつくりは木造で、壁は隙間だらけ。
玄関の扉はなく、まるで犬小屋のような住居だった。
床はなく土がむき出しだ。しかも人が寄り付かない沼地に住んでいたので、衛生状態は最悪といっても過言ではない。
不幸なのは家の環境だけではない。彼にはまともに着れる服すらなかったのだ。
土の色と同化した布切れを一枚体に巻いているだけ。
洗濯機で洗ったら破れてしまいそうなボロ生地だ。
履物はなく、一日中裸足で活動している。
夏はなんとかなるが、冬がとてつもなく厳しい。
カンボジアでも真冬の早朝は18度くらいにはなるので、隙間風の入る小屋生活では凍えてしまう。
少し歩くと、キリングフィールドと呼ばれる外国人向けの観光地がある。
カンボジアの内戦の歴史を紹介した記念公園で、たくさん人骨が地面に埋まっている。
もちろん入場料がかかるので、サムセンは中には入れない。
別に入らなくてもいいのだが、どうしても外国人に会いたい理由があった。
それは少しばかりの金銭を恵んでもらうことだ。
公園の周囲は鉄柵で囲まれており、その隙間から外国人に声をかけるサムセン。
「わんだらぁ」
1ドル恵んでほしいいう、丁寧な言葉を知らないサムセンは、ただただ「わんだらぁ」と叫び続けた。
しかし一日中叫び続けても、1000リエル(27円)ほどしか手に入りません。
弟と母の3人で協力しても、1日やっと1ドルに到達します。
そのお金で粥を炊いて空腹に耐えていました。
そんな生活を7歳まで続けたサムセンは、ついに自分でビジネスをはじめました。
手作りのミサンガを路上で外国人に売るという仕事です。
ある日のサムセンは、いつものように外国人にお金をもらおうと両手を差し出していました。
すると西洋人の男性が立ち止まり、サムセンこう言い放ちました。
「僕になんの得があるんだい?」
「このミサンガを見てよ、さっき街で君くらいの子供から買ったんだ!」
表情や身振り手振りで、英語はなんとなく理解できた。
このとき、サムセンの目は輝いた。
字の読み書きができないサムセンだったが、手先は器用だった。
ミサンガの材料となるツル植物はそこら中にあり、赤土を塗り込めばきれいな赤色のミサンガができる。
この男性との出会いを機に、サムセンは多い日で1日7ドルものお金を稼げるようになりました。
2015年当時のカンボジア人の平均日給に相当する金額です。
生活は一変し、母と弟を連れて街の近くの高床式の住居へ引っ越すことができました。
貧困から抜け出せて安堵したサムセンでしたが、そこで非常に残酷な現実を知ることになったのです。
今まで知らなかった事実を知れば知るほど絶望感に襲われるサムセン。
仮にこの国で医者になっても、先進国の人の平均年収にもならないらしい。
逆を言えば、さっきから街で美味そうなものをたんまり食べている外国人は、みんな普通の人だったことに気づくのです。
観光客は全員医者だとばかり思っていたサムセン。
本当は違う。普通の会社員でも物価の安いカンボジアに来れば豪遊できるのだと知った。
つくづく自分が生まれた国が嫌いになる。
ヨーロッパのある国では、最低時給が12ドル以上だなんて、カンボジアでは丸2日働いてやっと到達できる額だ。
1日7ドル稼げるようになって喜んでいた自分が本当に惨めに思えた。
10歳にも満たない年齢で、彼の心は絶望の最高峰に達していた。
これまでお金を恵んでくれた外国人。
1ドルくれた人には心のそこから感謝していたが、現実を知ってからは違う。
自分の20倍以上稼いでいる外国人が憎くて憎くてしかたなかった。
いつか英語をマスターして、英語圏で働きたい気持ちもあるが、大嫌いな外国人のいる国で働くのは正直抵抗感があった。
だからといってカンボジアで働いても未来はない。
自国も他国も愛せないサムセン。
大切なものは弟と母だけとなった。
弟と母には幸せになって欲しいという気持ちが強かったサムセンは、大嫌いな外国で働くことを決めた。
カンボジアから近く、外国人向けの求人が豊富な国は、意外にも英語圏ではなく日本という国だった。
言葉が話せなくても、工場員として働ける情報を掴んだサムセンは、ここぞとばかりに日本行きを決意した。
幸いになことに、年齢が若く健康状態も良好だったサムセンは、初期費用やパスポート発行などの手続きをサポートしてくれる斡旋業者とすぐにマッチングできた。
あとは日本へ行くとう勇気だけ。
実際に日本に来てみると不安は吹き飛んだ。
与えられた1Rの寮は、温かいお湯の出るシャワー付き。
ふかふかベッドに液晶TV。食堂では今まで食べたことのない美味しい食事のオンパレード。
自動車部品を作る仕事をゲットしたが、物乞いだった幼少期を思い出せば、なんと楽な仕事なのでしょう。
周囲の日本人はみんな死んだような目で働いているのに驚きです。
1日8時間、週5日働いて、故郷のお医者さんよりも高収入になれました。
毎月5万円を母に送金して、母と弟には不自由ない暮らしを提供することも叶いました。
絵に書いたような幸せは日々は続き、ついに4年間もの月日が日本で過ぎていきました。
すっかり日本に馴染んだサムセン。
日本語も流暢になり、SNSも使いこなすように。
インスタでは不労所得で優雅に暮らしているアカウントを多数フォロー。
このあたりからサムセンは「なぜ自分は毎日働いているのだろうか」と疑問を抱くようになりました。
などなど、SNSをチェックすればするほど、人生の満足度が下がってしまった。
4年前日本を訪れたときの高揚感など、今や一欠片も残ってはいない。
自分もSNSの中のキラキラした人達のようになりたい!
そう強く願ったサムセンは、仮想通貨投資の世界に興味を示した。
億り人が数多く誕生したビットコインに、サムセンも投資してみようと考えたのだ。
なけなしの10万円でビットコインを購入したサムセン。
数カ月後40万円に。
しかし数カ月後は、20万円に下がってしまった。
普通なら損する恐怖に負けてしまうところだが、サムセンは違った。
価格が下がったのチャンスと捉え、今度は100万円借金をしビットコインを追加購入。
予想は的中。
100万円は1200万円になりました。
億り人には程遠い金額ですが、SNSの中の人達のような金持ちを味わうには十分な額です。
やってみたかった願望を次々と叶えていき。
半年もしないうちに所持金は空っぽに。
再び、工場員としてコツコツ働くサムセン。
この頃になると、死んだような目で働く日本人と同じ目になっているとこに気づく。
不満しかない毎日。ついには故郷への仕送りもしなくなってしまった。
目的を完全に見失い、ただ毎日愚痴をこぼしながら働くだけのつまらない男になってしまったのだ。
その淀んだ心は態度にも表れてしまい、職場での評価を落とすことに。
ついには就労ビザの更新を受け付けてもらえなくなり、仕事は解雇。
死んだような目のままカンボジアへ帰国。
約4年半ぶりの故郷は、信じられないくらい不衛生だった。
水が濁っている。その水で食器や服洗ったら余計に汚れるじゃん。。
いやいや、幼少期にくらべればかなりキレイな水だが、日本での生活に比べたらありえないレベルの汚さだ。
エアコンもなく、飯はまずい。
母と弟は、久々の再会に喜んでいるが、正直作り笑いもできない。
その晩サムセンは、街にある外国人向けのホテルに宿泊してしまった。
その後サムセンとは連絡がとれなくなり、彼がカンボジアでどんな生活を送っているかは分かりません。
記者:榊原リュウジ