自殺は意味ない。
俺も死にたい時があって、死について10年以上考えていた。いまも考えている。
死ぬことは特別だと思ってたんだ。
死ぬことは美しい。
この汚い世界から消えることができるのだから、自殺は美学だと。
でも毎年普通に死ぬ人と自殺する人を含めると物凄い数になる。
だからとくべつではない。
そして、死んだ人は最初は大勢に注目されるが、次第に注目されなくなる。
死にたい人は、この世に絶望しながらも、誰かに注目されたいと思って死ぬと思う。
俺もそうだったから、でもどうだ。
世界的に有名な芸能人が死んだら、その数週間は騒ぎになる。
でも時が進めば、有名人の死も普通人の死も大差なくなる。
思い続けるのは家族くらいだ。
三浦春馬が死んだ。家族はもちろんファンも泣いた。
普通人の死よりも影響力は大きい。
でも今はどうだ。
少なくとも俺は三浦春馬を思い出すことはほとんどない。
また他の有名人の死も思い出すことはない。
だから普通人も有名人も関係ない、自殺したところで、人は忘れる。
だから1つ、自殺は無意味なことだと言いきれる。
次に考えるのは自殺したいと思っている人は少なくないということ。
自殺すれば特別になれると思っていたが、トー横キッズのフィールドに足を運んでごらん、多くの子供たちが自殺したいと思ってる。
実際に自殺した人、またこれから自殺しようと思っている人。この人達を集めたら、自殺は全然少数派ではなく特別でもない。
死んだところでなんでもない。
毎日ホームレスが死んでる。
海外ではこどもが飢えて死んでる。
でも僕らは気にしていない。
だから2つ目、自分が死んでも何も起きないから自殺は無意味。
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思い通りにいかない、生き甲斐がない、楽しみがない、生きてる意味がない、死んだ方がまし、と思って死んでも何も変わらない。
生き地獄でも生きないとプラスにはならない。
死ぬのはゲームの電源を切って強制終了するようなもの。
どうせ寿命で全員死ぬんだから、適当に馬鹿して人生遊んじゃえばいいと思った。
そして逃げ道はないんだとも思った。
死ぬ気で生きればそのうち何らかの事故で死ぬんだからさ。
自分がどんな死に方をするのか、楽しみにしてればいいじゃん。自殺はエネルギー使うし疲れるよ。運命で死ぬなら、そいつに任せれば楽じゃん。